2008年08月31日

西行のこと(佐藤編)。

今日は、西行のこと。

西行[1118-1190]は、平安時代の終わりから鎌倉時代へ移ろうとするまさにその時期、つまり「平家物語」の時代を生きた歌人です。「新古今和歌集」への入集が一番多いことでも有名です。

○そらになる心は春のかすみにて世にあらじともおもひ立つ哉
○今宵こそおもひ知らるれ浅からぬ君にちぎりのある身なりけり
○心なき身にも哀(あはれ)はしられけり鴫たつ澤の秋の夕暮
○なげヽとて月やは物を思はするかこち顔なるわが涙かな
○うとくなる人を何とて恨むらむ知られず知らぬ折もありしを

西行の生涯は、在俗の時代(23歳頃まで)を含めて大きく五つの時期に分けるのが一般的なようです。
@出家までの在俗時代(在俗時代)
出家前は、武士として鳥羽院に仕えていました(時の天皇は崇徳天皇)。また、(諸説ありますが)出家前には妻子がいた可能性が高いようです。

A出家から、陸奥の旅に出る前まで(出家直後時代)
出家してしばらくは都の近くの寺院や草庵に生活し、その後は東山、嵯峨、小倉山などで暮らしたようです。

B陸奥の旅から、四国の旅に出る前まで(高野中心時代-前期-)
生活の本拠が高野山にあった時期です。在俗時代から関わりのあった西住や、他に親交のあった寂然とやりとりをした和歌などが残っています。

C四国の旅から、伊勢へ住居を移すまで(高野中心時代-後期-)
西行の歌集で最も有名な「山家集」はこの時期にまとめられたと考えられています。が、この時期より後に内容が追補された可能性も高いようです。

D伊勢に住居を移してから、河内国弘川寺で没するまで(晩年時代)
この時期には再度陸奥を訪れています。また自歌合二編「御裳濯川歌合」「宮川歌合」もまとめています。

※上記区分は窪田章一郎氏(川田順氏)に因る。


西行は、花(桜)と月の歌を沢山詠んだことでも有名ですが、それはいわゆる平安貴族の優雅な花鳥風月詠のイメージではなく、遁世した日々を生きる中でうまれた歌というか、西行が自身のために詠んだ歌というイメージ。また、恋の歌が沢山詠まれているというのも西行が残した和歌のポイントのひとつだと思います。

そんな西行は、実像を離れてさまざまに伝説化されたりもしているのですが(「撰集抄」や「西行物語」など)、それらが後世まで語り継がれたその要因のひとつは、やはり以下の和歌にあるといってよいと思います。

○ねがはくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月の頃

生前、西行はこの和歌を詠み、そしてこの和歌の通りに入滅しました(建久元年(1190)二月十六日)。この日は釈迦入滅の日であり、西行は願いの儘に生涯を終えたことになります。

"義清編"では、西行を知る手掛かりとなるものなどについて触れてみたいと思います。
 
posted by 磯野カヅオ at 04:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 和・古 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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