2008年09月28日

和泉式部のこと(冥き道編)。

今日は、和泉式部のこと。

和泉式部は平安時代中期の歌人です(生没年については諸説あり)。小倉百人一首には「あらざらんこの世の外の思ひいでに今一たびの逢ふこともがな」という和歌が入集しており、@「和泉式部集」(正集・続集)という歌集やA「和泉式部日記」を残しています。
※@は正集と続集以外にもいくつか派生本があります。

和泉式部のことが直接分かる史料は上記の@、A以外にはほとんど残っていない上に、@については内容が編年順に並んでおらず、Aについてはとても限定された期間の内容であるため、それ以外の史料(「栄華物語」や「大鏡」など)の情報も組み合わせて和泉式部の生涯を輪郭付けするという形で研究が進められてきているようなのですが、そんな和泉式部の生涯で取り上げられる点というのはだいたい決まっています。

大まかなポイントは以下の通りです。

○和泉式部の生年は974,966,974,978,979年など諸説ある。

○橘諸兄の後裔である橘道貞と結婚する(995or996年頃)。
※橘道貞の生年は未詳です。

○時の天皇の一系譜である冷泉院の皇子=為尊親王と親密になる(1000)。
⇒この時、為尊親王は24歳。
⇒道貞とは別れることになり、和泉式部は親からも勘当される。

○為尊親王が26歳で薨去(1002)。
⇒為尊親王薨去後も、和泉式部は道貞のことが胸の内にあり、この頃に詠まれたと思われる道貞に関する和歌の内容も複雑なものである。

○為尊親王の弟の敦道親王と親密になる(1003)。
⇒この時、敦道親王(帥宮)は23歳。
※「和泉式部日記」は敦道親王とのやりとりが和歌を交えて日記体でまとめられたものです。

○敦道親王が27歳で薨去(1007)。
※歌集の中の帥宮挽歌群が有名です。

○藤原道長の家司である藤原保昌と知り合い、結婚する(1009)。
⇒敦道親王薨去後、出家することも考えた和泉式部が保昌と結婚するも、この頃に詠まれたと思われる和歌にも苦悩を詠ったものが少なくない。

○藤原保昌が79歳で死去(1036)。
※和泉式部はこの前年に亡くなったという説が有力なようです。


なんといいますか・・・多情?奔放?恋愛体質?
和泉式部は上で名前を挙げた男性以外との噂も絶えなかったそうで、例えば、最初の夫である道貞との間に子が生まれた時も、"誰の子か分からない"というような世評があったりしたそうです。

でも、和泉式部の研究をしている人たちはだいたい、和泉式部が孤独だったということも書いているし、僕も和泉式部のことを"多情の人"という一言だけでは片付けたくないと思ったので、今回は和泉式部を取り上げてみたのですが、ね。


"沢の蛍編"では、和泉式部のことを知る手掛かりとなるものなどについて触れてみたいと思います。
 

posted by 磯野カヅオ at 06:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 和・古 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/107255566

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。